皆さんこんにちわ!私はayutoと申します。
こんな悩みを解決します。
結論から先に言うと、絶対に読んでほしいです。
私は読みながら心が刺激されたと同時に涙も流していました。
余計な事かもしれませんが、私は西野さんのサロンメンバーでもありませんし、
もっと言うと、西野さんの存在を最近になって知りました(私があまりテレビを見ていないのが原因です)。
そんな私が一般者目線から見て感じたこと・学んだことについて話していきます。
それでは早速いきましょう!
こんな方におすすめ
- 【ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある】ってどんな本?
- 【ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある】を一分で知りたい
- 【ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある】から何を学んだ?
【ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある】ってどんな本?一分で解説
世の中には、夢を捨てた人たちで溢れている。
夢を捨てた人たちは夢を持った人に対して、批判的な態度を取らなければ、あの時捨てた選択肢(夢を捨てたこと)が間違った証明になる。
そんな理不尽な現代社会で、あなたも夢を持ち続けるができますか?
夢を持ち続けてください。
努力し続けてください。
そして、「才能」いう種を咲かせてください。
と強いメッセージを私は感じました。
夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会
【ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある】の本は、以下から始まります(はじめにはスキップ)。
「映画 えんとつ町のプペル」は、こんな言葉から始まります。
えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。(p.12参照)
「映画 えんとつ町のプペル」を知らない人のために、簡単に説明します。
「えんとつ町のプペル」
煙突から上がった煙のせいで、「えんとつ町」に住む人は青い空も輝く星も、見上げることも知りません。
空を見上げようとするものを、街のみんなは容赦なく攻撃します。
そんな中でも、空を見上げていた少年ルビッチとゴミ人間プペルの絵本物語。
この「えんとつ町」とは、まさに現代社会の縮図を表しています。
夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会。
今この瞬間にも、殺されている夢がたくさんあります。
なぜ、そんな現代社会になってしまったのか。
その理由を本書では以下のように挙げています。
皆、もともと、夢の類を持っていたのだけれど、大人になる過程で、己の能力や環境を鑑みて、折り合いをつけて捨ててしまった。
そんな中、「皆が折り合いをつけて捨てたモノ(=ゴミ)」をいまだに持ち続け、丁寧に磨き、輝かせようとしている者がいる。(p.78参照)
つまり、夢を捨てた人たちが、夢を持つ人たちを攻撃をしていないと
あの日夢を捨てた選択が間違ってしまったという証明になる。
あの日夢を捨てた判断が正しかったことを証明したいんだ、って。
皆さんも諦めてしまった夢、ありませんか?
人が何かやろうとしたら、批判的な態度を取っていませんか?
夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる社会なんて、私達で変えていきましょうよ。
私も、皆さんに負けないようにもっともっと知識を付けて、夢を持って行動しやすい社会を創れるように努力します。
西野亮廣さんの思考法
私が感じた、西野亮廣さんの思考法を以下にまとめました。
西野亮廣さんの思考法
- 「目的を達成するために何をすべきか?」ではなく、「何をしたら目的が達成できないか」をリストアップする
- 誰にでも才能の種はある
- リーダーであるために心掛けていること
一つずつ解説していきます。
思考①:「目的を達成するために何をすべきか?」ではなく、「何をしたら目的が達成できないか」をリストアップする
皆さんは、「目的を達成するために何をすべきか?」と考えて行動していませんか?
この思考だと、毎日ノルマに追われ、もし目的を達成するため設定した事を行うことができなかった場合、自己嫌悪に陥りやすくなります。
というかそもそも、苦しくないですか?
そこで逆転の発想です。
「目的を達成するために何をすべきか?」ではなく、「何をしたら目的が達成できないか」をリストアップしてみてください。
「報われる努力」に巡り会うためには「運」が絡んでくるので、コントロールできませんが、 「報われない努力」を排除することには「運」が絡んでこないので、コントロール可能です。
ある問題に直面したとき、「自分がコントロールできないコト」と「自分がコントロールできるコト」を明らかにしておくと、無駄な迷いが消えるのでオススメです。(p.21-22)
要するに、「努力」が報われるためには、「自分ができること」と「相手ができること」を認識して分離する必要がある、と言うことです。
これは、嫌われない勇気の「課題の分離」と似た考え方ですね。
思考②:誰にでも才能の種はある
「才能」は誰にでもあります。
誰にでも才能の種はあって、大切なのは「その種をどこに植えるか?」。
その場所を教えてくれるのが「努力」の役割で、これ以上できないほどの努力をした結果、絶望を見て、僕は絵本の世界に転がり込みました。(p.29)
つまり、「努力」とは、才能の種を咲かせる手段でしかないのです。
そして、皆平等に才能の種を持っています。
ここでやっかいなのが、努力し切らなければ、わからない。
ということですね。
思考③:リーダーであるために心掛けていること
西野さんのリーダーであるときに心掛けていることは、以下の二つです。
- 全員の意見に耳を傾けて、最後は独裁する
- 正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする
また、リーダーで最もやってはいけないことを「多数決(p.182)」と挙げています。
多数決をすることで、リーダーは責任転嫁することができてしまうからです。
私は特に、二つ目の「正解を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする」というメッセージはリーダーのみならず、誰でも心掛けるべきことだと感じました。
なぜなら、この先の人生で、たくさんの分かれ道が待っている中で、どの道が正解だったのかは自分が決めることだからです。
まとめ
最後もう一度、本書の始まりを載せます。
「映画 えんとつ町のプペル」は、こんな言葉から始まります。
えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。(p.12参照)
皆さんは、この文を読んで何を感じましたか?
人それぞれ感じることは違うと思いますが、最初に読んだときと思うことは変わっていると思います。
お時間があれば、何を感じたかコメント欄に書いてくれると嬉しいです。
最後までブログを読んでいただきありがとうございました。明日もお会いしましょう。ではまた!
余談
私は、「映画 えんとつ町のプペル」を見に行ったのですが、
「誰か見たのかよ。誰も見てないだろ?だったら、まだわかんないじゃないか。」
のシーンで涙が止まりませんでした。
西野さんの本を読む前に行ったので、もしこの本を読んでから映画を見に行っていたら、
西野さんの緒戦と苦しみ、そしてその先の景色と西野さんの人生そのものが描かれているので、涙が枯れてしまっていたと思います。
それくらい、素敵な映画ですし、好きな本になりました!
参考URL:大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します(キンコン西野)
参考文献:「西野亮廣(2020) , 『ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある』, 東京都, 凸版印刷株式会社, 株式会社KADOKAWA」
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