道徳

私の恩師から授かった大切な言葉

皆さん、こんにちわ!理系大学四年生のayutoです。

お忙しい中、このブログにアクセスしていただきありがとうございます。

ついこの間まで、もう二月になったよ~と思っていたのですが、気づけば二月中旬になりました。時が経つのは本当に早いです。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

それでは、早速本題に入ります。今日の話は私の恩師について書きたいと思います。

小学校・中学校・高校・大学と進んでいくうちにたくさんの先生・教授に出会いました。

その中で、私の人生において大きな力になってくれた、人としてのモラルを教えて下さった先生が一人います。

その恩師は小学生高学年のときにお世話になった先生です。

今振り返っても、この先生は本当に厳しかったです。

例えば、授業中に手を挙げるときは耳の横に腕をくっつけるようにしてピンと真っ直ぐ挙げること、言葉遣いが悪かったらきちんと叱ってくれてどうしてその言葉が悪いのか本人に考えさせること、友達の名前を呼ぶときは”君・さん"付けをして呼ぶこと、文字をひたすら丁寧に書くこと(汚く書いたらやり直し)、最後の連絡事項は先生が口頭で話すのでそれを各自聞き取り連絡帳に書くこと(最後にもう一度読んでくれる)、まだまだあるのですが、きりがないのでこの辺で止めときます。

要するにこの先生は、小学生というまだ人間的に幼い私たちのことを人として立派に成長させようとしてくれました。

ここで、私が特に心に残っている言葉を少し紹介します。

それは「じゃあ、〇〇。」と「なので、~。」です。

心に残っている言葉

  1. じゃあ、〇〇。
  2. なので、~。

例に挙げて考えてみます。

一つ目の「じゃあ、〇〇にします。」は、例えばクラスで出し物の案を決めていたとします。

たくさん案が出て多数決を取り、出し物が決まりました。

最後に委員長が「じゃあ、多数決で決まったこの出し物にします。」と話したらどうでしょうか。

あまり良い言い方ではないと思います。

この文を悪くしているのが「じゃあ」という言葉です。

この言葉は”仕方ないからこれにしよう”というニュアンスを含んでしまいます。

「じゃあ」という言葉を使わずに「それでは」といった言葉に変換することが大切です。

ここで、この言葉が友人との会話に使われていたらどうでしょうか。

それは運動をしているとき、勉強を教えているとき、また日常のことを話すときにこの「じゃあ」という言葉が使われた場合、使った本人はあまり感じることがないと思いますが、使われた友人は傷ついてしまうと思います。

自分自身では気づかないうちに、大切な友人からの信頼を失うことだけは絶対に避けてください。

二つ目の「なので、~。」は、例えば、「これは〇〇です。なので、〇〇してください。」というように、文と文を繋ぐ接続詞として使っている方がたくさんいます。

この「なので」という言葉は本来「〇〇なので、〇〇です。」といった形で使われ、文の初めに使われることが無いため、私はとても違和感を覚えます。

もし、文始めに「なので」を使っている方がいたら今日からやめて「だから」に変えてください

「これは〇〇です。だから、〇〇してください。」です。ちなみに私は恩師に、耳に胼胝ができるほど言わました。

これは大人の方でも間違えている方はいらっしゃると思います。

今日から変わることができます。変えていきましょう。

いかがだったでしょうか。

この二つを頭のどこかに入れておいてください。

そうすることで正しい言葉遣いに少し近づくことができ、人から信頼を得ることで、結果としてあなた自身もさらに成長すると思います。

人は、やろうと思ったときにすぐに行動に移せば必ず変わることができます。

新たな変化を、共に習慣化していきましょう。

私も日々努力していきます。

最後までブログを読んでいただき、ありがとうございました。何か私に質問等ありましたら、遠慮なく聞いてください!ではまた!

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